湯ケ島小学校の偉大な卒業生
足立文太郎博士
     足立文太郎博士のこと

 世界的に有名な解剖学者、足立文太郎博士も湯ケ島小学校の卒業生である。
 足立文太郎博士は、従来の皮膚の色や顔の形、毛の性質などの外観上の人類学に対して、「筋や血管、内臓などすべての『柔部』にも違いがあるはずである」「各種族にはその種族に即した特有の解剖学が必要である」と考えて、新しい視点からの解剖学の研究をした人である。
 そして、研究の成果を「日本人の動脈系」「日本人の静脈系」「日本人のリンパ系」という三部作にまとめられている。
 これは不朽の名著として世界中に知られ、その学問的価値は今も昔も変わることがない。その生涯については以下のとおりである。

  足立文太郎は慶応元年(1856)6月15日、足立長造、すがの長男として天城湯ケ島町市山に生まれた。長造が家業に失敗し、生活は決して楽なものではなかったが、文太郎は伯父にあたる井上潔(すがの実兄・井上靖の曽祖父)の温かい援助を受け、湯ケ島小学校、伊豆学校(韮山高校の前身)、東京大学予備門医科、東京帝国大学医科大学と進み、明治27年に同大学を優秀な成績で卒業している。

  翌年、岡山第三高等中学校医学部の解剖学の先生となり、明治32年にはドイツのストラスブルグ大学に留学している。5年間の留学のあと、京都帝国大学医科大学教授となり大正10年には第四代の医学部長になった。定年退職後は同大学の非常勤講師を勤めていたが、昭和2年、請われて大阪高等専門学校(現大阪医科大学)の初代校長となり、創立された専門学校の基礎づくりに全力を傾けている。

  昭和7年同校を退官した後も、博士の研究活動は少しも衰えをみせず、昭和20年(1945)4月1日80歳で生涯を閉じるまでライフワークである解剖学についての執筆は続けられていた。最後の原稿を整理し終えたのは、なんと亡くなる約50日前のことであったということである。

  まさに命を懸けて一つのことを貫いた偉大な生涯であった。博士の母校である湯ケ島小学校には博士が書かれた「懸命不動」の文字を刻んだ顕彰碑が正門脇にある。撰文は先生の女婿である井上靖が筆を執っている。「懸命不動」、それは単なる言葉ではなく、博士が身をもって示した研究者、教育者としての生き方そのものであった。